2010年2月14日日曜日

さよならムジーク

 外出用ヘッドフォンが壊れた。
 今朝、自転車で走行中に、歩道に飛び出した猫を避けるため転倒した際、右側のスピーカをアスファルトに強く叩きつけられたため、駄目になってしまったのだ。なんとか修理を試みるも、どうすることも出来ず。
 MDR-NC60、享年2歳。ノイズキャンセリング機能は期待していたものと違っていたので十分に性能を活かしてやれなかったが、それでも何百時間と付き合ってくれた。特に今のような時期は擬似的なイヤーマフとしても大変ありがたかった。今までお疲れ様、合唱、もとい合掌。

 それはさておき、最近の自分は特に不自由になったと感じる。物事を独断と偏見で断定する発言が少なくなった。それは無駄な衝突を避けるためだったり、不確かなことを言う事への畏れや、わかる人にとっては当たり前のことを得意げに主張することへの恥らいでもあるだろう。しかしそれは結局のところ他者に対しての見栄であり、そこから発せられるものは面白くもない在り来たりの言葉、主張だけである。
 今年で生まれて25年になる。25年も生きて何の能力も職も知識もないのが自分だ。金も才能も人格的な善さもなんにもない。これは事実で動かしようがなく、目の前の人をどう誤魔化しても、またその人が否定してくれようとも変わらない。むしろ虚しいだけだ。
 他人の用意してくれた人格を演じるのは容易い。また、こういう人と思われればその場をしのぎやすい、という観点から行動を規定することは安全で楽だ。その時同時に相手の人格も勝手に決めつけていることになるが、多くの人はそれに従ってくれる。おそらく同じような理由から。
 しかしそれは思わぬ可能性を大幅に削ることになる。正直、人間関係なんかはだいたいそれで良いと思わないでもないが、それが自らの思考などにも影響が出ると悲惨以外のなにものでもない。知っているべきことを知っていない、できるべき思考が出来ない、解けるべき問題が解けない。それを隠すために避ける、そのなんと不自由なことだろう。
 上で他者に対しての見栄、と書いたが問題はどうやらそれではない。問題視すべき悪は、自分に対しての見栄だ。自分に対して見栄を張って、なにかを知っている人のように振舞うことは非常に滑稽だ。馬鹿だ。愚かで救いようがない。ぞ、自分。

 幼い頃、ロボットになりたかった。何も考えずなにも感じないが、答えを言えるロボット。今はどうやら、僕は人間になりたいらしい。中身は未だ空っぽだ。恥ずかしいね、まったく。

0 件のコメント:

コメントを投稿