あの中にあるのは、少なくとも救いではない。
2010年8月21日土曜日
2010年8月20日金曜日
2010年8月19日木曜日
貝
会社の近くにある公園に、今朝、貝殻が散らばっていた。 煙草を吸いながら思い出す。そういえば前にもこんなものを見たっけ。
今の僕は、誰かがゴミを捨てたのか、くらいにしか思わない。でも少し遡ると、貝塚だと騒いだかもしれない。さらに遡れば、もしかして昔はここに河でも流れていたのかも、とでも考えただろうか。
本当のところはよくわからないが、ひとつだけ、鮮明に覚えている。それは一番最初にこんな光景を眼にした時の記憶で、僕は、ああ、ここが海なんだろうか、と思った。あるいは、ここが海になるのかもしれない、と思った。そしてまた明日も見に来てみようと思った。
次の日、そこに貝を見に行ったかは覚えていないが、地元に海が出現したという歴史はまだない。
2010年8月18日水曜日
スペシャルハイパーめげない心
今日は上司さんと一緒に川崎に行ってきた。昼休みに上司さんが車のキーを忘れたおかげで、一時間近く日光浴を楽しむことができた。死にたくなるくらい健康的なひとときだった。 帰り際に上司さんの書いた書類をチラ見したら、その文字が完全に大人文字だった。大人文字というのは、大人の人だけが書ける魔法の読みづらい省略文字だ。人の文字の変遷過程は、もしかしたらその人の生き方を結構的確に表しているかもしれないなぁと思った。でも、そのくらいのことだったら、喋り方も姿勢も表情も飲み物の選び方も服装も、なんだってその人の生き方を表していると思うので、別に書道の先生がその点で素晴らしいわけじゃないと思った。
今日はなんだかやたらと疲れた。疲れない世界か、心が欲しいなと思った。どっちも現実的ではないのなら、これは一体何なんだろう。
今、画面に羽虫が止まったので、潰した。こんなものなんだよね、結局。
2010年8月17日火曜日
2010年7月31日土曜日
7月なんてなかった
7月も終わろうとしているので、なんとかブログの体裁を保つべくテキトーに文字を羅列しようと思う。前回の投稿からひと月以上経過しているのでネタには困らないのではないか、と書き始める前はぼんやり想像していたが、現実というやつの大半はそんなに甘くない。引き出しに物を詰め過ぎると引き出しは開かなくなる。それでも意地になって力ずくで開けてみたりすると、中の物か引き出しか、あるいはその両方が駄目になるからタチが悪い。そんな開かなくなった引き出しは処分してしまうのが一番だ。と言い切ってしまうと、あれれ、じゃあこのブログ自体もなかったことにするのがいいんじゃない?という古今東西あらゆる賢人も裸足でひれ伏す究極的名案に至ってしまうので、ここは一つお茶を濁してみようじゃないか、夏だし。
そう、世間的にはすっかり夏だ。今年の夏はなんだかやたら暑いので、ついついエアコンのスイッチを入れてしまっている。去年まではほとんど使わずに乗り切っていたのだから、ひょっとして例年より十度くらい気温が上がっているんじゃないだろうか。何を馬鹿なことを言っているんだ、こいついよいよ脳が限界を迎えたんじゃないか、だったら早く病院に行くか首括るかしろよ、まあでもめでたい事だよね社会不適合者が一人減るんだし、ともしかしたら思われるかもしれない。しかしこういうふうに自らに与えられる条件をより悪く見積もることで、エアコンのスイッチを付けることの罪悪感を軽減できるのである。いわば、ネガティブおばあちゃんの知恵袋だ。ほら、老人はよく言うではないか、「私も老い先短いのだし、お願いだよ」みたいなことを。あれと、たぶん大体一緒だ。
あ、あとさっき僕に死ね的なことを考えた人は申し訳ないですけど訴訟しますんでご一報ください。
そういえば最近は、友人に勧められて百鬼夜行抄という漫画ばかり読んでいる。主人公の律という青年が霊的なトラブルに巻き込まれつつなんとかそれを解決する、という感じの一話完結の物語であるが、なぜ自分がこんなにもこの世界に惹かれるのか考えてみる。
妖怪というのは人間の主観が生み出すものであり、理解出来ないもの、受け入れがたいものに形を与えた結果のものである。あるいは現象から自らの主観を切り離し、それ自体に主体性を付与させたものである。そこにはあらゆる勝手な解釈が許され、そして人間の責任の投棄が許される。人間が負うべき責任があるとしても、それは例えば物の怪との約束であったりして、それを守らなかったことは非難されうることだが結局大元には物の怪という理不尽があるので、どう考えても軽微である。この、現実の社会に比べれば。
妖怪も神様もフィクションで平等と自由が前提であるこの社会においては、自らのありとあらゆる責任が自分のものとなっている。それを受け取らないこと自体が批判の対象となる。ここに生きる殆どの人間が、そもそも自ら望んでここに生まれてきてはいないという前提をなかったことにしている。それはそうだ。そんなもの、嫌なら死ねという一言で片が付くものだから。でも、それって自分だけで背負えるような軽いものか、と思う。あるいは、自分ひとりで背負いたいのに、それは出来ないように設計されていないか、と。
まあ、とどのつまり、自らの責任を放棄したい甘えが、この妖怪のいる世界への憧れに繋がっているのだろうと分析される。就職しても相変わらず、というか就職してますます露見される自らのヘタレっぷりにぷりぷりぷうぷうですよ、もう。
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