来週は完全清掃週間にする。
2011年2月20日日曜日
2011年2月19日土曜日
セルフノイズ
日常にはちっぽけな予感があって、何となく不安になったり、心配になったりする瞬間がある。そのざわつきに慣れない頃はつい一人で暴走してしまって、空回りをして恥をかいたりする。
しかし成長するにつれ、その感覚は薄れていく。なぜなら第一に、未来に生じうる不安要素を取り除くよう自らの生活を組み立てるようになるからである。第二に、後悔のフィードバックによってそれを感知する機能が抑えられていくからである。
つまり統合して言うと、そのような事態に陥る以前に対策を盛り込むようになり、かつそれを感じないように機能を抑制するようになるということである。
また、もしその感覚が現れても、慣れによって対処の仕方を学習していく。その対処も同様に、内側か外側に。
それにも関わらず未だにそんな感覚に慣れていない僕は、内側も外側もちゃんと処理できてない馬鹿者なのだろう。馬鹿者は馬鹿者らしく、足掻くしかない。空回りでも恥ずかしくても、最悪の事態を防げれば御の字だ。嫌な予感は妄想のままでいい。無事であれば、僕は頭のおかしい奴で、今はいいや。
2011年2月18日金曜日
2011年2月17日木曜日
ちゃんと不愉快
ボトルメッセージというアプリがある。メッセージを書いて送ると見知らぬ誰かにそれが届いて、返事が返ってくるかもしれない、みたいなアプリだ。iPhone版が一部地域で話題になっていてその存在を知ったのだけど、僕が試したのはAndroid版だ。iPhoneさえ持っていないようなクソマカーだからね、僕は。
さておき、僕は夢野久作の瓶詰地獄という作品が好きだ。従ってボトルメッセージという名称から連想されたのは、その瓶詰地獄の雰囲気であり、きっとどうしようもない一方的なキチガイ文書がノイローゼになるほど送られてくるに違いない、という淡い期待を抱いてインストールしてみたわけだ。
結果はとしては、そこにおける空気は一方的である意味キチガイじみていたが、僕の望むものではなかった。送られてきたメッセージを晒して説明すると、「好きな音楽は?」とか「不倫ってどう?」とか「ラブ注入♡」とか、所謂出会い系という感じのものが多かった。
極めつけは以下のメッセージ。僕はこいつで度肝を抜かれました。
「ちゃんと恋したい」(原文ママ)
ははは。意味が分からない。そう思うのは自由だ。しかし、いったいなぜこんなモノを他人に読ませようというのか。「頑張って><」とか言われたいわけ?じゃ、頑張るってなんだよ気色悪い。どちらかというと「呼吸止めて><」と言ってやりたいわ。
しかし、ここまで気持ち悪いものを読まされてしまったのだから、ここは一つ免疫を作るためにも、なぜこれがこんなにも不快なのか僕は考えることにした。
「ちゃんと恋したい」
まずこれを冷静に考えるために、構成する語句を別のものと入れ換えてみる。
「ちゃんとご飯食べたい」
なるほど、きっとこの人は、この人自身が想定する理想的な食事を取れていないのだと考えられる。たとえば三食食べれていないとか、一食にかけられる時間が10分もないとか、臭い飯を食わされているとか。
では、なぜこれを他人に対して発信するのか。
①ネタである
すなわち貧乏ネタであり、自虐ネタである。ではなぜそんなことをするのか。“わざと”それで笑いを取ることで、自らの境遇も“わざと”であると思い込みたいという願望があるのだろうか。
②同情が欲しい
あわよくば飯を恵んでもらおう、環境を改善してもらおうという発想からそうしているのである。
③獄中日記
つまり一種のルポルタージュであり、素晴らしいよね。
さて、そうしたら今度は入れ換えた語句を元に戻して照らし合わせれば、結果は自ずと出てくる。両者に共通するのは飢えであり、欲求不満だ。ひどくみっともない、下品で、自分を貶める発言だと思う(ただし③の場合は除く)。
そして両者に共通せず、「ちゃんと恋したい」に特有な不快さは、恋には生身の相手が必要ということから生じていると思う(踊り食いなどを除く)(二次元が好きな人を除く)。その発言に、相手を自分の恋愛劇場の道具に使おうというような感覚が想像されて、それがもうたまらなく嫌だ。
でもまあ、正直に言えば僕自身にもそういう感覚はあって、だからこそ嫌悪しているのだと思うけど。
そんなこんなで一応の解決も得たし、めでたしめでたしということで僕はメッセージボトルをアンインストールした。しかし興味があるなら一度試してみると良いと思う。発信者の爆発的増加に伴い基本的に発言に対する閲覧者が激減した今のネットにおいて、確実に誰かに読まれるというのは結構価値があると思うし。
2011年2月15日火曜日
ナマモノを貼りつけて
昨晩に振った雪はいささかメンヘラチックだったように思う。夜中さんざん自己主張をして、翌日の朝に大きな迷惑をかける。けれど昼頃にはわずかに残骸が道端に残る程度。惨めったらしくアスファルトに溶け出していて、ただ鬱陶しい。でもなくなったら、少しだけ残念に思うような。ほとんどテロだ、と言ったらテロリストに失礼だろうか。じゃあ、メンヘラが天災的?まあ、どうでもいいか。
とにかくそんなわけで今朝の通勤は散々だった。ある程度の遅延や車内が満員であることは覚悟の上だったが、まさか改札を抜けてから乗車口に辿りつくまで30分以上かかるとは一体誰が予想していよう。ため息。
それにしても、朝の駅におけるこういったトラブルは本当にどうにかならないものかと思う。周囲にいる何十人という人間がみな苛立っている状況というのは、その場にいるだけでかなりストレスが溜まる。今日ほどの混雑具合ではなくとも、通勤時の電車というのは大概一触即発な雰囲気で、どこかしら死に物狂いというか息の詰まる感じがする。
いっそ電車で通勤・通学する人はすべて、家でダンボールにでも箱詰されて目的地まで運んでもらった方がましなのではないかとすら思う。梱包材に敷き詰められて、結構快適かもしれない。酸素が足りないというのならボンベも同梱すれば良い。そうして会社や学校に出荷されるのは絵的にも悪くないし、それに人身事故にも遭遇しなくて良い。非人道的かもしれないが、それは現状でも同じことだ。問題があるとすれば、正月の年賀状配達のように配達員が荷物を何処かに放置してしまわないか、ということや、配達ミスくらいか。いずれにせよ毎日がアンドロイドごっこみたいで、僕としては結構楽しめると思う。
2011年2月14日月曜日
タイプトレースで書いてみた。
これはタイプトレースというソフトを使ったからおっきくなっていたりちっちゃくなっているのであって、決して僕の気が狂ったわけではない。
アプリを使用すれば自分のタイピングをあとで再生できる、というおもしろ機能も付いていたりするけど、そのおかげで打つ方はめちゃくちゃ緊張して、こんな、内容がペラペラになってしまう。まあ、慣れなんでしょう、そこは。
これ、大小が出るという点で面白くはあるけど、正直読みにくくなる。長いものには適さないだろう。詩とか、誰か書いたらいいんじゃない、と思う。
まあ、他にも色々できるアイディアはあるけれど、なんか、もういいです。これ、気疲れがすごい。苦手だ。なんか喋らされているみたいで。
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