「そうか、終わったのか」
口に出してみた。けれど思っていたよりもずっと安らかだ。実感がない。壊れてしまった実感ではなく、今までそれがあったということがもうよくわからない。あんなに悩んでいたのに。あんなに大事だと思っていたのに。心はそよ風に揺られるだけで、寂しささえない。ひょっとして寝ているうちに神様が別の誰かの心を私に移植したんじゃないだろうか。死骸を綺麗に取り去って。
そんな馬鹿なことばかり考えてはいられない。私はコーヒーを入れるためにキッチンへ向かった。
「あ」
玄関先に散らばった、割れたマグカップに目がいった。壁に染み付いたコーヒーの跡も昨日のままだ。ちゃんと落ちるんだろうか、これ。それから自暴自棄になった昨日の自分が見た映像、放った言葉が思い出された。馬鹿な事をしたとは思うが、同時に微笑ましく感じる。まるで小さい子供のした悪戯を見つけた時のように。
あんなふうにしてモノを壊したことは今まで一度もなかった。そんな衝動は自分には無縁で、よほどヒステリックな人かフィクションの中でしかありえないものなのだと思っていた。彼に対する私の感情もすっかり形骸化していると認識していたし、あんな最後を迎えるだなんて想像もしていなかった。
好きだとか嫌いだとかそういう単純なものではなく、きっとむしろそういったたくさんの感情で作り上げられ形作られてきた何かが昨日ついに壊れてしまった。
あれはすなわち私自身のカタチでもあった。
そうか。
昨日壊れたのは、私自身でもあったんだ。
壊れてしまえるものなんだな。
壊れるってあんなふうなんだな。
真新しいから、今なら全て受け入れられるように思う。
全てを許せたような気がした。
その後、カップの破片はすぐに捨ててしまったけれど、私は壁をそのままにすることにした。茶色く残ったその染みは、私自身の影だ。爆発で焼き付いた、あの頃のポートレイト。いつまでも消えないで欲しい。
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