2010年8月20日金曜日

かみさま くたくた

 なんで神様は、最後に休まれたのか。
 きっと、嫌いな物を最初に食べるタイプだったからだ。僕らとおんなじで。

 明日は、おかげさまで輝かしいお休みです。

2010年8月19日木曜日

 会社の近くにある公園に、今朝、貝殻が散らばっていた。
 煙草を吸いながら思い出す。そういえば前にもこんなものを見たっけ。

 今の僕は、誰かがゴミを捨てたのか、くらいにしか思わない。でも少し遡ると、貝塚だと騒いだかもしれない。さらに遡れば、もしかして昔はここに河でも流れていたのかも、とでも考えただろうか。
 本当のところはよくわからないが、ひとつだけ、鮮明に覚えている。それは一番最初にこんな光景を眼にした時の記憶で、僕は、ああ、ここが海なんだろうか、と思った。あるいは、ここが海になるのかもしれない、と思った。そしてまた明日も見に来てみようと思った。
 次の日、そこに貝を見に行ったかは覚えていないが、地元に海が出現したという歴史はまだない。

2010年8月18日水曜日

スペシャルハイパーめげない心

 今日は上司さんと一緒に川崎に行ってきた。昼休みに上司さんが車のキーを忘れたおかげで、一時間近く日光浴を楽しむことができた。死にたくなるくらい健康的なひとときだった。
 帰り際に上司さんの書いた書類をチラ見したら、その文字が完全に大人文字だった。大人文字というのは、大人の人だけが書ける魔法の読みづらい省略文字だ。人の文字の変遷過程は、もしかしたらその人の生き方を結構的確に表しているかもしれないなぁと思った。でも、そのくらいのことだったら、喋り方も姿勢も表情も飲み物の選び方も服装も、なんだってその人の生き方を表していると思うので、別に書道の先生がその点で素晴らしいわけじゃないと思った。

 今日はなんだかやたらと疲れた。疲れない世界か、心が欲しいなと思った。どっちも現実的ではないのなら、これは一体何なんだろう。

 今、画面に羽虫が止まったので、潰した。こんなものなんだよね、結局。

2010年8月17日火曜日

暑かった!

今日はとても暑かったので絵日記をはじめようと思った。
なぜかというと、ずっと前に宿題で絵日記を書くように井上先生に言われたのに、僕は一日も書いていないので、やばいぞと思ったからだ。
だけど、暑さでいえば今日も10数年前も同じくらいなので、バレないと思う。

今日は本当に暑かった。どれくらいかというと、家が溶けるくらいだと思う。
「家は溶けないよ」と隣のお婆ちゃんに言われたけど、僕もそう思う。アイスがうまかった。

絵は、近所の風景を想像して書きました。本当は車は走っていなかったけど、走らせてみたのがよくできたと思います。でも車はあまり好きじゃないです。
なぜかというと臭いからです。

2010年7月31日土曜日

7月なんてなかった

 7月も終わろうとしているので、なんとかブログの体裁を保つべくテキトーに文字を羅列しようと思う。前回の投稿からひと月以上経過しているのでネタには困らないのではないか、と書き始める前はぼんやり想像していたが、現実というやつの大半はそんなに甘くない。引き出しに物を詰め過ぎると引き出しは開かなくなる。それでも意地になって力ずくで開けてみたりすると、中の物か引き出しか、あるいはその両方が駄目になるからタチが悪い。そんな開かなくなった引き出しは処分してしまうのが一番だ。と言い切ってしまうと、あれれ、じゃあこのブログ自体もなかったことにするのがいいんじゃない?という古今東西あらゆる賢人も裸足でひれ伏す究極的名案に至ってしまうので、ここは一つお茶を濁してみようじゃないか、夏だし。

 そう、世間的にはすっかり夏だ。今年の夏はなんだかやたら暑いので、ついついエアコンのスイッチを入れてしまっている。去年まではほとんど使わずに乗り切っていたのだから、ひょっとして例年より十度くらい気温が上がっているんじゃないだろうか。何を馬鹿なことを言っているんだ、こいついよいよ脳が限界を迎えたんじゃないか、だったら早く病院に行くか首括るかしろよ、まあでもめでたい事だよね社会不適合者が一人減るんだし、ともしかしたら思われるかもしれない。しかしこういうふうに自らに与えられる条件をより悪く見積もることで、エアコンのスイッチを付けることの罪悪感を軽減できるのである。いわば、ネガティブおばあちゃんの知恵袋だ。ほら、老人はよく言うではないか、「私も老い先短いのだし、お願いだよ」みたいなことを。あれと、たぶん大体一緒だ。
 あ、あとさっき僕に死ね的なことを考えた人は申し訳ないですけど訴訟しますんでご一報ください。

 そういえば最近は、友人に勧められて百鬼夜行抄という漫画ばかり読んでいる。主人公の律という青年が霊的なトラブルに巻き込まれつつなんとかそれを解決する、という感じの一話完結の物語であるが、なぜ自分がこんなにもこの世界に惹かれるのか考えてみる。
 妖怪というのは人間の主観が生み出すものであり、理解出来ないもの、受け入れがたいものに形を与えた結果のものである。あるいは現象から自らの主観を切り離し、それ自体に主体性を付与させたものである。そこにはあらゆる勝手な解釈が許され、そして人間の責任の投棄が許される。人間が負うべき責任があるとしても、それは例えば物の怪との約束であったりして、それを守らなかったことは非難されうることだが結局大元には物の怪という理不尽があるので、どう考えても軽微である。この、現実の社会に比べれば。
 妖怪も神様もフィクションで平等と自由が前提であるこの社会においては、自らのありとあらゆる責任が自分のものとなっている。それを受け取らないこと自体が批判の対象となる。ここに生きる殆どの人間が、そもそも自ら望んでここに生まれてきてはいないという前提をなかったことにしている。それはそうだ。そんなもの、嫌なら死ねという一言で片が付くものだから。でも、それって自分だけで背負えるような軽いものか、と思う。あるいは、自分ひとりで背負いたいのに、それは出来ないように設計されていないか、と。
 まあ、とどのつまり、自らの責任を放棄したい甘えが、この妖怪のいる世界への憧れに繋がっているのだろうと分析される。就職しても相変わらず、というか就職してますます露見される自らのヘタレっぷりにぷりぷりぷうぷうですよ、もう。

2010年6月15日火曜日

21時に眠たくて

 せっかく勤務初日を無事終えられたことだし、眠気が限界にくるまで適当につらつら書いてみる。
 今日は午前中に自社の製品説明というか講義のようなものを受けた。で、午後からは多少の作業を手伝った。
 仕事自体に関して言えば個人が受け持つべき内容の1/10程度をやらせてもらったようなものだからだけど、別に問題なく、簡単だった。半年あるいは一年くらい続ければたぶん、この仕事自体の妥当な評価が下せるようになると思う。でも、評価が下せるようになるより、常に出来ることが増えていって評価は不定のままになる方がいいかな。
 上司も含めた同僚に関して言えば、ピンきりという印象。良いのも悪いのもいる、というより良い方が目茶苦茶特出している感じ。これが組織というものか、と思った。

 それにしても講義なんだけど、これがその特出して優秀なんじゃないかと思うような人がしてくれるから、ありがたいやら申し訳ないやら。もっともっと真剣に望まないとバチが当たる気がして嬉しい欝にかかりそう。
 そういえば自分は完全理系の分野に迷い込んだ糞文系なわけで、本気か正気かわからんけれど「君にはウチに新しい風を」云々と言われたりする。いや、確かに面接の時にこっちからそういうことを申しましたよ。だけどほら、その辺は口八丁奉り候って感じじゃないですかぁ。まあ、頑張るけれど、正直なにも期待しない方が賢明だと思われますことよ。ごめん遊ばせ!

 まあ、ひとつだけ現状で仕事への疑問を投げかけるとしたら、「一人ひとりが自分の作業に集中しすぎて新しい発想が出にくくなっている」というのは、一人ひとりにその日の完全な目標、ノルマを設定しているからだろうから、問題を解決したいならダメもう眠い寝る

おやすみなさーい

2010年6月14日月曜日

ままなる大地の懐に

 3月から始めた遅すぎる就活もようやく実を結び、普通の人から2週遅れくらいで僕も真っ当な社会人になれることになりました。でも、実際のところ全てはこれからという状態で、例えて言うと今やっと人から呼んでもらえる名前をもらったという感じでしょうか。不安もかなり大きいですが、喜びでハイになっている今のうちに苦痛を伴いそうな土台作りを済ませてしまえたらいいなぁ、と思っています。

 しかしこうしてとりあえず死に直結するような問題が取り除かれてみますと、いかにネガティブ思考が自分に根付いているかがちょくちょく感じられます。別に感じる必要のない不安要素をついつい探しているような、そういう瞬間が結構頻繁にある。人間の頭はたぶん、ある感情に向けられた思考パターンにいろんなものを配置して工場みたいにそれを動かし続けている状態が最も安定であるように出来ていて、目標となるある感情はお馴染みのものであれば社会的になんと呼ばれているものであっても問題ないのだろうと思います。そんなわけでそれが僕にとってはネガティブな感情で、無意識は一所懸命そういうものを生産してくるのですが意識からしたらそれは今需要ないよって感じで、なんだか滑稽な空回りをしています。
 あるいはそういう生産作業を客観視するから滑稽に映るのかもしれません。いずれにせよ今のうちに色々な部分を変えてみて試してみようかなって感じです。今を逃したらしばらく機会を失うでしょうから。

 とかなんとか書きながら、ふと、今って死ぬのにうってつけのタイミングでもあるなと気づきました。
 大学に受かったときほどではないですけど、死ぬなら今のうちかもなあ、と。逆に言うと今を逃すと更に死ぬことがままならなくなるだろうと想像できます。うーん、どうしようか。

 まあ、奨学金とか返してないことですし、そう上手くもいかないですね、現実的には。
 若い人間に返せる程度の借金を負わせるというこのシステムは結構自殺を減らすのに役立っているのだろうなと思います。逆に老人たちは若い人間にお金を貸すシステムをもっと作ればいいんじゃない?とも思います。
 個人的には少なからぬ怨恨を抱いていますけど。なんていうか、ありがた迷惑?


 とまあ結局暗い感じの話題に展開するのだから本当にどうしようもないですね。いや、主観的には明るい死の話ですけど、一般的にはそう見えないでしょうし。
 最後にせっかく給料がもらえる立場になるのだから、今現金によって得ることのできる欲しいものをリストアップしてみます。
・洗濯機
・iPad
・新しい部屋
・ヘッドフォンアンプ
・テノリオン
・自転車
・工具一式
・PS3
・いろんなDVD、CD、ブルーレイ
・外出用ヘッドフォン


 まあ、きっと、生きるのであれば、全部なんとかなるでしょう。
 しかし、今午前三時五十分近くか。当面の課題は生活リズムの改善ですね。ちゃんと起きれるのか?まったく・・・。