
ハリガネムシという寄生虫がいる。僕なんかは最近までカマキリの中に入っているキモイ奴、くらいにしか認識していなかった。しかし実はこいつ、結構恐ろしいヤツらしい。
バッタやコオロギが落ち葉などについたハリガネムシの卵を食べたとする。体内で孵化したハリガネムシはそこで成長した後、繁殖期に入る。ハリガネムシの繁殖は、水中で行われる。従ってハリガネムシはぜひ川などに近づきたい。しかしバッタやコオロギは普通水になんか入らないし、そんなものは彼らの生活圏内にはない。
それなのに、彼らは進んで水を探し、見つけると飛び込む。飛び込むと、ハリガネムシが感謝の言葉もなく、彼らの身体を突き破って水中を泳ぎ出す。ああ、気持ち悪い。
何かに操られ、何かに支配されて自分の行動を選択している状態、しかもそのことに全く無自覚である状態というのはとても恐ろしい。しかしこれってなんかおかしくないだろうか。一体何が恐ろしいのだろう。なぜ恐ろしいのだろう。
バッタやコオロギはハリガネムシと対話を行い、結果的に奴の要求をのんだ、ということはありそうにない。では全くそうするつもりはないのに、彼らに意思に反して、体が勝手に動いたのか。大した根拠はないが、それはないように思う。おそらく彼らは、彼らの内的に生じた欲求に従って行動をし、結果水に飛び込んだ。
彼らは腹が減れば食料を探す。繁殖期が来れば求愛行動を行う。それと同じように、水に入りたくなって水を探し、死に至った。
彼らの意識が――仮にあるとして――なんらかの役目を持つとしたら、それは自らの欲求を満たすための方法を探ることだとする。もしそうなら、彼らの意識は十分その役を全うした。すなわち彼らの意識だけを問題にするのであれば、なんの間違いもなかったと言えるだろう。
では彼らが自らの身体のことを想って行動した結果が、身体を永久に損なうことになったということが問題だろうか。しかし例えばカマキリなんかは交尾によってオスが食われたりする。これも同様ではないか。
しかしそれは結果として種の保存に役立っている。それに引き換えハリガネムシに従って死ぬのは何の役にも立たない、ということが言えるかもしれない。だが、例えばハリガネムシが仮に体内で繁殖を行うタイプだったらどうか。自らの種の生活圏内で糞と一緒に卵をまき散らしたほうが種にとっては害となるだろう。そう考えると、わざわざ水の中に行ってくれるのは種にとってありがたい事と言えるのではないか。
思うに意識とは自発的に何かを行うものではない。ただ自分というものの一貫性を保つためにあらゆるものに理由のカバーを掛けて、さも自分がここを歩いてきたと思わせているだけである。そして思わせられているのは自分、すなわち意識だ。
ハリガネムシが恐ろしいのは、行為が自分の意志によって行われたという確証の脆さ故である。本当に恐ろしいものは、対話ができない、認識できない、しかし存在する何かである。そして人間の意識にとって、その最たるものは自分の無意識だ。
小学生のとき、僕は算数の問題が一瞬で解けることがあった。テスト中、式を見た瞬間に頭の中で数字が叫ばれる。とりあえず確認の計算をしてみるとそれは正しい。しかしそれが僕はすごく嫌だった。そんなものがいきなり出てくる理由がわからなかったからだ。だから次第にそれを無視するようになり、いつしかそんな叫びは聞こえなくなった。
けれど今でも思う。結局のところ、自分は理屈をわかると思い込まされているだけではないか。あるいは、わかるという仕組みにどれほどの価値がるというのだろう。
ハリガネムシは意識の存在がいかに無力かを思い出させる。そういえば、ずっと昔、自分という存在が寄生虫なのではないかと想像していたことを思い出す。
上手に騙されて、モチベーションを上げるように仕向けられないのは、つまるところ無意識が無能なせいだと思います。
バッタやコオロギが落ち葉などについたハリガネムシの卵を食べたとする。体内で孵化したハリガネムシはそこで成長した後、繁殖期に入る。ハリガネムシの繁殖は、水中で行われる。従ってハリガネムシはぜひ川などに近づきたい。しかしバッタやコオロギは普通水になんか入らないし、そんなものは彼らの生活圏内にはない。
それなのに、彼らは進んで水を探し、見つけると飛び込む。飛び込むと、ハリガネムシが感謝の言葉もなく、彼らの身体を突き破って水中を泳ぎ出す。ああ、気持ち悪い。
何かに操られ、何かに支配されて自分の行動を選択している状態、しかもそのことに全く無自覚である状態というのはとても恐ろしい。しかしこれってなんかおかしくないだろうか。一体何が恐ろしいのだろう。なぜ恐ろしいのだろう。
バッタやコオロギはハリガネムシと対話を行い、結果的に奴の要求をのんだ、ということはありそうにない。では全くそうするつもりはないのに、彼らに意思に反して、体が勝手に動いたのか。大した根拠はないが、それはないように思う。おそらく彼らは、彼らの内的に生じた欲求に従って行動をし、結果水に飛び込んだ。
彼らは腹が減れば食料を探す。繁殖期が来れば求愛行動を行う。それと同じように、水に入りたくなって水を探し、死に至った。
彼らの意識が――仮にあるとして――なんらかの役目を持つとしたら、それは自らの欲求を満たすための方法を探ることだとする。もしそうなら、彼らの意識は十分その役を全うした。すなわち彼らの意識だけを問題にするのであれば、なんの間違いもなかったと言えるだろう。
では彼らが自らの身体のことを想って行動した結果が、身体を永久に損なうことになったということが問題だろうか。しかし例えばカマキリなんかは交尾によってオスが食われたりする。これも同様ではないか。
しかしそれは結果として種の保存に役立っている。それに引き換えハリガネムシに従って死ぬのは何の役にも立たない、ということが言えるかもしれない。だが、例えばハリガネムシが仮に体内で繁殖を行うタイプだったらどうか。自らの種の生活圏内で糞と一緒に卵をまき散らしたほうが種にとっては害となるだろう。そう考えると、わざわざ水の中に行ってくれるのは種にとってありがたい事と言えるのではないか。
思うに意識とは自発的に何かを行うものではない。ただ自分というものの一貫性を保つためにあらゆるものに理由のカバーを掛けて、さも自分がここを歩いてきたと思わせているだけである。そして思わせられているのは自分、すなわち意識だ。
ハリガネムシが恐ろしいのは、行為が自分の意志によって行われたという確証の脆さ故である。本当に恐ろしいものは、対話ができない、認識できない、しかし存在する何かである。そして人間の意識にとって、その最たるものは自分の無意識だ。
小学生のとき、僕は算数の問題が一瞬で解けることがあった。テスト中、式を見た瞬間に頭の中で数字が叫ばれる。とりあえず確認の計算をしてみるとそれは正しい。しかしそれが僕はすごく嫌だった。そんなものがいきなり出てくる理由がわからなかったからだ。だから次第にそれを無視するようになり、いつしかそんな叫びは聞こえなくなった。
けれど今でも思う。結局のところ、自分は理屈をわかると思い込まされているだけではないか。あるいは、わかるという仕組みにどれほどの価値がるというのだろう。
ハリガネムシは意識の存在がいかに無力かを思い出させる。そういえば、ずっと昔、自分という存在が寄生虫なのではないかと想像していたことを思い出す。
上手に騙されて、モチベーションを上げるように仕向けられないのは、つまるところ無意識が無能なせいだと思います。
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