2009年11月14日土曜日

木枯らしの季節に部屋を掃除するといふこと

 人は掃除をするために生くるにあらず、されど掃除する事なければ人の生に活路無し。

 ようするに、部屋が汚すぎるので整理しようってそれだけの話。しかしtwitterに画像のURL載せたけれど、ひどいね、まったく。こんなのホームレスとの違いは外壁だけといっても過言ではない。と思ったけれど、どうなんだろう。きれい好きのホームレスとかってやっぱりわずかにいるんだろうか。いや、主観的にはきれい好きであっても客観的には結局ホームレスだし。そこには限度があって、言ってしまえばその奇麗さたるや自己満足に過ぎないだろう。いやいや、そもそも奇麗かどうかという事自体が主観なんだし、じゃあ一般にきれい好きと呼ばれる人々が細菌レベルにまで気を使っているのかというとそんなこともあまりないだろう。

 と思いついた事を一から十まで書いていくと誰にとっても価値の無い駄文が生まれますよと仰りたいかもしれないが、こっちだって本当は百も千も書きたいところを十までで止めているのかもしれないじゃないですか。じゃ、おあいこってことでどうでしょうかと提案したあたりでもう字数限度の3分の2くらい埋めてしまっているのだから縛り日記は恐ろしい。その抑圧加減といえば戦前の日本や中学男子のアレな感じと肩を並べるほどだ。

 ともかく、掃除。掃除って賽の河原の作業に似ていると思う。過去の自分が崩した石の塔を現在の自分が積み上げる。そしてやがて未来の自分がやってきて、無情にも塔は崩されてしまうのだ。

 まあ、基本的に僕はこの世のあらゆる行為に対して、賽の河原と似ているとか言い出すから聞き流すのが良いけど。

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