
そんなわけで、今日もやってしまった。すなわちまた、万歩計を所持し忘れたのだ。冗談みたいだが本当のことである。しかしこの“冗談みたいだが”というフレーズが使われるとき、そのエピソードは大概冗談にしては面白みに欠けるものだったりする。まあそれは語り手がその冗談のようなエピソードを面白く可笑しく構築できないということが原因であることもしばしばだ。どうでも良いですね。こっちだって矛先をフレーズの使用者全体に拡散したくてテキトーに書いてるだけですし、眠いしね。
じゃあ今日も、昨日に引き続き以前体験した微妙に怖い話を書こう。
僕は以前、ケータイのメールアドレスをとある小説のタイトルに設定していた。確かそのアドレスに設定したのは高校2年のころだったと思う。そういうありがちなアドレスにするとよくあることだが、アドレスを変えた当初は知らない人からメールが届くことがあった。このアドレスの前の使用者が変更を通知していないのか、通知されたものを登録していないのか、それとも作品のファンによるいたずらか、いずれかだろうと思っていた。
当然のことながら日を追うごとにその手のメールは減っていき、大学に入った頃にはそんなメールが届くこともなくなっていた。だから、そのメールが届いたとき、僕は懐かしくほほ笑ましいと感じた。
そのメールの詳細な内容は覚えていない。ただそれは見知らぬアドレスから送信された他愛ない用件のメールだった。一人称が私であり、はしゃいだ文の書き方から送信者はおそらく女性だと思われた。また受信者に対してちゃん付けで呼んでいたことから、彼女が想定していた受信者も女性であるようだった。ここでは仮に送信者をA氏、想定されていた受信者をB氏とする。
確か、その日は休日で、僕は友人宅にいた。メールは、A氏がその日B氏とどこかへ出かけたことに対する感想のようなものだった。内容的には親しげに感じられたが、その日初めてアドレスを聞いて、打ち間違えでもしたのだろうか。あるいは当時あったような(今もあるかどうかは知らないが)、送信ミスを装ったスパムだろうか。
もし、その日メールを一人きりで見たのだったら、僕はおそらく以前していたように間違いを指摘するだけだっただろう。けれどその日は友人といたため少し悪ふざけが過ぎた。B氏になり切って返信してみよう。どちらから言い出したのかそんな馬鹿げたことをすることになった。
いずれにせよ後日B氏によって間違いは修正されるだろう、もしスパムだったとしてもそれ以降無視すればいいだけだ、自らの悪ふざけを肯定するためか僕はそんなふうに考えていた。けれどA氏からのメールは次の日もその次の日も来た。スパムにありがちな、わざとらしい間違いの気付きもなかった。
偶然か知らないけれど、A氏からのメールはいつもただ一度同意すればすむようなものばかりだったから、僕はいい加減な返信をし続けた。今更間違いを指摘するのは後ろめたかったし、その時もまだB氏が指摘することを期待していたからだ。
そして週末になって、A氏からまたメールが来た。B氏を遊びに誘う内容だった。流石にこれに返信するわけにはいかないだろう。そう思った。肯定も否定もできない。正直に言えばその時にはもうすっかりA氏に返信をすることにも飽きていた。だから僕は、そのメールを無視することにした。それでA氏から返信を要求するようなメールが来たら、今日アドレスを変えたばかりだとか偽って彼女の間違いを指摘すればいい。そんな都合の良い防御策を考えながら、しかし週末は過ぎていった。
彼女からのメールはそこで途絶えた。きっとようやくB氏から本物のアドレスを教えてもらったのだろう。そして僕はそんな出来事を次第に忘れていった。
再びA氏からのメールが届いたのは半年ほど経った頃だったろうか。彼女は前と同じように、B氏に対して語りかけていた。そのメールには“久しぶりだね”というような言葉もなく、さも昨日から続いていたような日常性が感じられた。僕には意味がわからなかった。どういったバックストーリーがこの状況を作り上げているというのか。異常なのは誰だ。
その後も時々、A氏からメールは届いた。僕は少しの好奇心と罪悪感から受信拒否の設定にはしなかった。A氏はメールを無視されても決してそれを非難することはしなかったし、それどころか、そんな事実はないかのように努めて明るいメールを送ってきていた。
今はもう、僕はそのアドレスを使っていないから、A氏がどうなったのかはわからない。けれど、そのアドレスは最初に書いたように小説のタイトルからとったもので、その作品は後に映画にもなったから、きっと今も誰かが使っているだろう。願わくば、A氏の誤りが指摘されることのないように、なぜだか僕はそのように今も思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿