2010年4月10日土曜日

缶蹴り

 今更缶蹴りをしようだなんてことになったのは、多分みんなこの日常にイラついていたからだと思う。つまり馬鹿な事をしたかったんだ。ほら、よく母親が新しい赤ん坊を産むと子供は幼児化するとか言うじゃん。僕自身は末っ子だから、よくわかんないけど、そんな感じだと思う。
 義務教育の義務は親に課せられるものであって、子供にあるのは教育を受ける権利だなんてことを前に校長が話してたけど、ふざけんなよマジで。それだったら、前田のオカンみたいに「アンタには散々投資してるんだから、返してもらうまでは言う事を聞いてくれなきゃ困る」って感じの本音を吐いてくれた方がまだマシだ。まあ、前田は泣いてたけどさ。
 とにかく、くだらないと思うわけ。勉強を頑張って良い会社入って立派な大人になったって、高が知れてる。一体どこに楽しそうにしている大人がいる?全員愚痴ばっかりだ。テレビで写されるのは全部やらせだし、それにしたって結局子供を羨んでるのがわかる。
 つまりイジメみたいなもんなんだよね。自分たちがこんな辛い思いしてるから、お前らだけ笑ってるのは許さない、って。多分大体僕らくらいの年齢になると、新鮮さも消えて、可愛いとも思わなくなってきて、それで攻撃対象としてみられるようになるんだろう。僕らのことを思春期だ反抗期だと言うけど、それってアンタらがそう仕向けてるんじゃないのって思うんだよね。
 誰だって、持ってるものを取られたら嫌な気分になるし、嫌いなことを押し付けられたら反発したくなる。そういうことをしてはいけない、って言いながら自分たちはそうするんだもん。うんざりするよ。
 だから僕らは缶蹴りをすることにした。さいわい教師たちの大半は既に学校にはいない。地区の大きな会議があるらしい。僕ら三年の校舎は職員室とは離れているから、そっち側に行かない限り安全だろう。ルールも簡単に決めて缶蹴りは始まった。空き缶なんてないから、クラスの緑色のじょうろで代用。近藤が最初の鬼で、長谷川がじょうろを蹴った。
 僕らは馬鹿みたいに本気になって、馬鹿みたいに大声を上げて、馬鹿みたいに笑った。どいつもこいつも全員馬鹿で、成績も何も関係なく馬鹿で、それがとても楽しかった。
 「塾だし、そろそろ帰るわ」
 だけど、そう言って帰っていく奴らを止めることなんてできない。責めることも。だんだん校舎は暗くなっていって、僕らひとりひとりの声はだんだん大きくなっていった。意地になって騒いで、できるだけ馬鹿でいられるように。
 じょうろを蹴りに僕は教室へ向かって走った。少し振り向くと鬼のような形相の菊池が追ってきている。手を伸ばして、ドアを開けようとした、そのとき。ドアは勝手に開き、目の前に女子たちの姿があった。一瞬、悲鳴。慌ててそれを避けようとして、横っ飛びをした。勢いで尻もちをつく。
 「大丈夫?」石田が驚いた顔のまま僕に言った。
 「別に」気まずいので目を逸らす。
 さっさとどっかに行ってくれ。そう念じているのに女子たちには伝わらないらしい。軽く舌打ちをする。
 「味戸捕獲っ!」
 教室の中から菊池の叫び声。僕は急いで立ち上がり、女子の間を縫って教室に入った。
 「ざけんなよ!事故だろ事故!」
 「えー、じゃあ蹴ってもいいよ。ノーカンだけど」
 頭にきたので菊池の足が乗ったままのじょうろにスライディング。奴は安定を失って転びそうになった。
 「外したか」
 「負け惜しみは良くないよー、味戸君」体勢を整えた菊池は偉そうに言った。
 「馬鹿じゃないの、アンタら」
 まだ残っていた女子たちのボス、澤井は言った。
 「え、知らなかったの?」僕は座りながらいう。「ああ、もしかしてお前も馬鹿?」
 「まあ、馬鹿の中じゃ味戸がブッチ切りだから安心しろって」菊池の言葉に女子たちは笑う。
 「はぁ!?」
 「ああ、ちょうどいいや。味戸、人数を補充しねえ?」そう言って奴は女子たちに顔を向けた。「なあ、お前らも缶蹴りやらねえ?」
 すると女子たちは小声で会議を始めた。僕は菊池を睨む。
 「しょうがないじゃん、人減っちったんだから。じゃあ俺隠れてる奴らをいったん呼んでくるわ」
 「お前鬼でスタートだからな」
 「へいへい」

 結局女子は三人だけ混ざることになった。その中には石田の姿もある。とろいくせに、ウザったいことこの上ない。
 「範囲は?」澤井が訊いてきた。
 「こっち側の校舎だけ。あ、便所は無しな」
 「何言ってんの、当たり前でしょ」
 「お前、だって前科持ちじゃん」
 そしたら澤井は顔を真赤にして離れて行った。嫌ならさっさと帰ってくれたらいいのに。
 「ったく付き合ってらんないわ。菊池君、さっさと始めよう」
 「ういー。じゃ、澤井、その勢いで蹴っちゃって」
 澤井の力任せの蹴りでじょうろは黒板に叩きつけられた。
 「怖っ」
 「うっさいボケ」
 それからみんなは方々に走っていった。僕は廊下を突き当たりまで走り、美術準備室に入るとそのままベランダに出た。少し寒いけれどここなら向こうで何が起こっているか、音でわかるはずだ。それに菊池がいない間に教室の窓の鍵をひとつ開けておいたから、奇襲もかけられる。
 しばらく様子をみるために僕は壁に寄りかかって座った。コンクリートが冷たい。ひとりになると、余計なことが頭に浮かんでくる。帰っていった奴らの顔や、自分のこれからのこと。父や母の言葉。それから。
 背後で音がした。
 身構えて確認すると、石田の驚いた顔。
 「えっと、ここにいたんだ」
 石田は勝手に窓を開け、ベランダに出るとそう言った。
 僕は目を逸らす。なんとなく、見てはいけない気がするから。
 「私もここに隠れていい?」
 「勝手にすれば」
 僕は手すりを見ながら答える。視界の端に石田が腰掛けるのが映った。
 「久しぶりだね、かくれんぼなんて」
 「缶蹴り」
 「あ、そうだった」石田は何が可笑しいのかクスクス笑う。
 とても居心地が悪い。どっか別の場所に移動した方がいいか。でも、それだと作戦が無駄になる。僕は小さくため息をついた。
 「ここにいたら迷惑?」
 「別に」
 迷惑だと思うならどこかに行けばいいのに。それくらい自分で判断しろよ。僕は石田が映らないように視界を移動させる。
 「味戸君さ」
 「なに」
 「私のこと避けてるよね」
 「別に、避けてない」
 「だってこっちを見ないようにしてるし」
 「それは」
 反発しようとして顔を石田に向けた。だけど、一瞬目があってしまって、気まずくなって元に戻した。
 「いいじゃん別に。俺の勝手だろ」
 「うん、そうだね。勝手だ」石田はまた笑った。
 「隆史先輩は元気?」
 「お兄ちゃん?元気だけど、なんで?」
 「別に」
 「別にばっかだね」
 別にいいだろ、と言いそうになって舌打ち。こいつといるのはほんとに苦手だ。ひどく落ち着かない。苛々する。
 「こんなふうに二人だけで話すのって久しぶりだね。中学に入って初めてくらい?」
 「いや、小学校のときもなかったと思う。いっつも誰かと一緒だったし」
 「そっか。じゃあ、完全に初めてなんだ。わあ、緊張してきた」
 「別に緊張することでもねえだろ」
 「ほら、また」僕がため息を吐くのを見て、石田は笑いながら「ごめん」
 嫌なのに見てしまう。嫌なのに気にしてしまう。そういうのがとてつもなく嫌だ。なんでこんなに恥ずかしい気持ちにならなきゃいけないんだ。自分自身が鬱陶しい。
 意識を缶蹴りに戻そうとして、音を探る。でも聴こえるのは石田のいる音。気持ちの悪い自分の執着。汚らわしいと感じる。
 「あのさ味戸君。怒んないで欲しいんだけどね」
 「なに」なら言うな。
 「味戸君って、あの、澤井ちゃんのこと、好き?」
 「はあ?」はああ?
 心底うんざりする。くだらなすぎる。馬鹿よりひどい。多分ものすごい呆れた顔を、僕は石田に向けた。
 「いや、違うならいいんだ。ごめんね」石田は顔を伏せた。「ごめんなさい」
 僕も石田から顔を隠す。なんなんだ一体。なんだその価値基準。なんでそういうふうに人を見なくちゃいけない。関わりたくないんだよ、そういうの。だからお前に関わらないようにしてるんだよ。
 みんなで笑い合って、馬鹿みたいに楽しめればそれでいい。そうするために、そんな感情は必要ない。切り離したいんだよ、そういう不自由な部分を。
 ずっとそんなふうでは、なぜいけない?学校も社会も大人も自分の感情さえも、それを邪魔する。不自由に追いやろうとする。欲しくないものばかり与えて。
 遠くから、菊池の馬鹿な笑い声が響いた。そうだ。行かなくちゃ。まだ僕らは缶蹴りの途中だ。
 「行くの?」
 僕が立ち上がると石田は言った。僕はそれに頷く。
 「もう少しだけ、ここにいない?」
 「やだね」
 僕は、馬鹿どものもとへ走り出した。

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