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| 今日の信号機 |
人間にとって感情というのは、ときどき病気みたいなものだ。特にコントロールする術を知らない子供にとっては。
「今泣いてるから行くのやだっ」
祖父の手に引かれて保育園に通っていたある日、僕はそんなことを言って祖父を困らせたことがあった。
「どうしたら泣きやめるのっ」
「ゆっくり深呼吸してみろ」
僕は素直に従って、息を吸い、吐き出す。
「全然止まんないっ」
今思うと無茶苦茶なやりとりだ。でも、あの時に感じた困惑はまだ当分忘れないと思う。
ところで我々は自分の感情などある程度コントロールできるものと思って生活している。しかし実際のところどうなんだろう。もしかしたら、ただ感情に支配されるのに慣れたというだけではないだろうか。
感情が我々を動かす原動力であると仮定してみる。我々は経験によって、感情の要請をスムーズに動きへ変換する仕方を学習しただけであり、何らかの原因により変換ができない場合のみそれが感情として見える形で表出される。言わばエネルギーの変換し損ないが表出される感情である。
学習の浅い子供の頃というのは変換効率が低い。それでも動かしてやるために、送り込むエネルギーが多く設定されている。そのため、大量の変換し損ないが放出されることになる。
従来の見方と異なるのは、あらゆる行為がそもそも感情的である、という点である。感情に反する行為、というものは原則的にありえない。感情と理性は相反しない。社会的欲求と個人的欲求は同列である。
うーん、このままではあまり使い物になりそうもないので、もう少し考えてみます。

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