いかんね、どうもいかん。人間は非常時になると、半強制的に変なスイッチが入ってしまうらしい。そのスイッチが入ると、知覚だの感情だのが過敏になって、言わばナチュラルハイな状態になる。それはきっと危機を脱するには良いのだろうけど、こう長く、深くスイッチが入りっぱなしになっていると、バッドトリップに陥ってしまう。
こういうときどういう対処が良いのかは人それぞれ違うだろう。僕の場合は、とことん落ち込むに限る。そして、眠ってしまうのだ。つまり過負荷を与えまくって強制的にシャットダウンしてしまうというわけ。
普通の人にはあまりおすすめできるものではない。でも、自らどん底を作って入ってしまうことは、見えないどん底に怯え続けるより良いと思う。入ってしまえば、案外どん底から這い出すことは難しくないと気付けるだろう。人間の精神はそれほど軟弱ではない。だから僕は、自分を信じて落ち込むのである。
さて、今回落ち込むネタは数だ。僕が今までの人生で関わってきた人の数を数えたいと思う。
まず、小中学校。僕の育った場所は田舎だから、クラスは2つしかなく、また全員が同じ幼稚園、小学校、中学校と進む。学年で確か60人くらいいたと思う。そしてそれが小学校で6学年だからおよそ360人。上に300、下に300と考えると合計660人。同学年の両親くらいとは面識があったと考えて120追加の780人。先生方は2×6の12に2×3の6足して18、さらに年3人ずつくらい入れ替わりがあったから7×3の21で足して39人。生徒と合わせて699人。
高校は1学年7クラスで、1クラス40人くらいだったと思う。単純に同学年合計で280人。高校では先輩と後輩のつながりなんて部活くらいでしかなかったから、プラス20で300人。先生の入れ替わりはなかったから、関わりがあったのは10人程度。生徒と合わせて310人。
大学では友人が1人で、先生はざっと20人とする。合わせて21人。
バイト先だとラーメン屋が4人、図書館が50人、本屋が6人で合計60人。
就職先だと、最初のとこが30人、今のとこが10人、合わせて40人。
親族だと、家族が元は7人だから自分を抜いて6、母の実家が7人、叔父が6で叔母も6、カウントしてない従兄弟が9。合計34人。さらに付き合いの多い親戚一家が7人。近所の人達が9人。合わせて50人。
これまでのを合計すると1180人。かなり薄い付き合いの人もカウントしてさえ、たったのこれだけだ。
そして、今回の震災で死亡・不明となっているのが3月22日の時点で22000人。
およそ18倍。こんなものに、実感が持てるわけがない。今まで関わりがあった人すべてを足しても足りないって、なんだよ。僕は今25歳だから、18倍したら450。450年も生きられるわけがないから、ウチが平均寿命が70年と考えると7世代全部の関わりを足すとようやく多少あまりが出る。
意味がわからん。
そんなのって、ないよ。ばかやろう。
逆に考えると、この22000人の中の誰かと関わりがあった人はもっとずっと多い。今まさに悲しみに暮れる人がとんでもなくたくさんいる。僕の関わった1180人の中に犠牲者があったという話は聞かないけれど、そう考えるときっとその悲しみはわりと近くにあるのだろうと推測できる。
死んだ人を生き返らせることなんてできないけれど、死んだ人の代わりに誰かを慰めることはできる。それがたぶん、死者を尊ぶということなのだと思う。明日這い上がるために、今日はどん底で深く静かに眠ろう。



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