東京というのはストレスでいっぱいのところだ。過剰な我慢とその崩壊による爆発でここまで成長してきたのだと思う。だけどこう毎日腹を立てていたら、東京にきてる放射線量の一万倍くらい健康に悪いと思うので、なんとか対処を考えたい。
そんなわけでここ最近ずっと頭にきているのが人々の暴力的な無関心というか狭窄な危機感だ。東京にとっても今が非日常な事態であるということは十分承知しているが、それでも空っぽの陳列棚や節電への無配慮、ガソリンスタンドでの行列(もっともこれはもう見かけなくなったが)などを見ると、はらわたが煮えくり返る。どうして今苦しんでいる人のために、ちょっとした快適が手放せないのだろう。いっそこういう輩に対してセンセーショナルな事件を起こして警告したほうが良いのではないか、という考えさえ浮かぶ。
しかし実際にはそうもいかない。それが身近な個人であれば説得することも可能だけど、相手が多すぎるのである程度は諦めるしかない。
こういうことを諦めるとき、僕はよく、遥か彼方に住む異星人たちの星間戦争をイメージする。彼らにどんな悲惨なことが起きていようとも、僕にはどうしようもないし、はっきり言ってどうでもいい。もし毎朝ラジオ体操をし続けることで何故か彼らの戦争が止まる、という事実があり、それを知ったとしても、僕はたぶん続けないだろう。
では、これが地球の上の出来事だったらどうか。あるいは隣国、あるいは国内、あるいは近所、あるいは目の前で起きていたらどうか。つまり何が言いたいかというと、主観的な距離の問題だということである。人の関心は主観的な距離に反比例する。(いや、ものすごい雑な言い方だとは思うけど)
現状自分の目の前にある危機感と、今困っている人たちに寄せる関心を比較した際、彼らにとっては遠すぎるというわけだ。これはもう、しかたがない。目が悪い人にどうして見えないと怒鳴っても意味が無いのと同じことだ。
しかし怒りを抑えても、現実問題として害を与え続ける者に対し、何らかの対策は講じる必要がある。プラスに変えよう、などと思うのはたぶん無駄である。おそらく無力化するのが最も望ましい。つまりその影響力を遮断するのだ。今回のような場合であれば、供給側に訴えかけ、コントロールしてもらうのが一番効率が良い。
纏めると、怒りの対象には、まず対象の置かれた条件を考え直すこと、そして必要であれば無力化することを行えば、おそらく大体は丸くおさまるのではないかと思う。
どうせ短い命、出来る限り美しい心でありたいものだし。

同意
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