今日は兄に夕食をおごってもらった。兄と会うのはひと月ぶりだろうか。実は僕と彼とは血が繋がっていない。彼と最初に会ったのは、僕が小学2年生のときだった。今だから書くが、僕は当時彼が苦手だった。小学生ながらに眼鏡をかけた顔は不気味に見えたし、彼は左利きで、向かいあってご飯を食べるとそれだけで気持ち悪くなった。
冷静になって考えれば、そんな理由なんてただの当てつけで、当時のやり切れない感情のすべてを兄に向ける事で処理していたのだろう。彼は僕に比べてずっと大人だったから、そんな理不尽な敵意を受け流し、いつも笑って歩み寄ってくれていた。
こう書くとわが家がいわゆる複雑な環境であるように受け取られてしまうかもしれない。しかし実際はそうでもないのだ。一般的な家庭が形成されるのは、婚姻と血縁というルールに従っての事である。それに対してわが家では少し一般的ではないルールの下に家庭が形成されたという、ただそれだけの事だ。いわゆる複雑な環境である家庭における複雑さとは、ルールが歪む事によって生じているけれど、言ってしまえばわが家では最初から歪んだルールが適用されていて、それが変化したことはないのである。
わが家において血縁者は存在しない。それどころか、笑ってしまうけれど、全員人種さえ違っている。一応全員日本人らしく見えるが、日本人の血は確か父が4分の1程度受け継いでいるだけだったと思う。
わが家を組み立てたルールを設定したのはどこぞのなんとかという大学の教授だ。今もその人が教授をしているのか、あるいは存命なのか僕は知らない。ルールについて詳しいことを僕は何も知らされていない。本当のところ、どんなルールであるかさえわからない。でもとりあえず、そんなことは大したことがないというか、それを絶対に解明し打破しなければ生きていけない、なんて不自由に陥ることなく生活できている。一般家庭で育ってきた方々はそれはおかしい、何とかすべきだ、とお思いになるかもしれないが、では全人類が哲学に没頭するかというと全然そうなっていない。身体が不自由な人たちが医療関係を絶対に志すわけでもない。つまり僕も、普通の人と同じで、どのようなルールを与えられていようともゲームが滞りなく進むなら別段気にかけたりしない、ただそれだけのことなのだ。
ただ一応、こんな環境を与えられたのはなぜなのか、考えることはある。子供のうちは父か母のせいなのだと思っていた。けれど大人になるにつれてそんなはずはないことに気付いた。人種やある身体的特徴を除けば、父も母も普通の人である。それは社会的に見てもそうで、彼らがこのようなことをし出したとは考えづらい。行き着くのは、一般的な家庭形成のルールを設定している人たち、政府だとかそんなところ。きっとわが家は何か、新しい何かのモデルケースなのだろう。
現在の社会において、伝統的価値は形骸化しつつあり、過去において無理やりに機能が局所化していたものが開放されつつある。例えば、教師は生徒に学問を教え、常識を与え、メンタルをケアし、生徒同士の関係を調和する、という超人的な振る舞いが過去においては求められていた。しかしこれにはどうしたって無理が生じる。そのため分業が行われたのだが、結果として総合職としての教師の役割は薄まりつつあり、ポジションを明確にしないならば、何十年後の社会では存在しない職業となっている可能性もある。
もし、そのような合理的な社会が出来上がるとするならば、家庭というものが現行のルールに従って形成されるべきだという常識は果たして保たれ続けるだろうか。すなわちわが家は、その常識が崩れたときに新たに形成されうるルールに則って造られたのではないか、と最近では考えている。
という嘘を並び立ててようやく今日の制限字数の半分に到達した。あと半分を書き終える頃にはきっと日が昇り、僕の睡眠は失われるだろう。なんてこったい。
ああ、そうそう、兄と一緒に夕飯を食べたのは本当のことです。きりたんぽを奢ってもらいました。目茶苦茶うまかった。
え?兄ですか?血が繋がっていることは明らかすぎる程度に顔や声は類似してますよ。並べてみると2倍気持ち悪いんじゃないでしょうか。ってうるさい。
あとは別に、取り立てて特筆すべきようなことって何もなかったのですけれども、そういえば実は僕、某組織に就業すべく受験ってヤツを受けさせられている(ここ重要)んですが、トラブルが起きまして。
というのも、一応一次試験的なものは通過したらしいのですけど、二次試験を受けるために必要な書類が期限までに提出できそうにないという、ね。
原因は明らかに僕の怠惰にあるんですが、どうしましょうね。蹴りましょうか、蹴っちゃいましょうか?奈落の底まで落ちますよ、僕が。
こういうミスは初めてのことではないので、意外と内心は落ち着いています。前にも、授業料の半分が免除されるための手続きをうっかり忘れてしまい、何十万か損しちゃってますからね。マジで。
当時はへこみましたけど、その後多くのミスを重ねるにつれて、即座に「まあいいか」と思い込めるようになりました。
街中で、ものすごいぼろぼろの車を見かけることが稀にあるじゃないですか。サイドミラーをガムテープで補強してあるようなヤツ。ああいう車も、きっと最初は修理に出したりしていたと思うんです。しかしあまりにもキリがないので、あのままになる。ああいう車を普通の人は見窄らしいと感じるのかもしれませんが、僕からしたらあれは悟りカーと呼んでも良い、別次元に格好良い車だと思います。それに普通の小奇麗な車より実は強度が高かったりするのです。普通の車にひっかき傷をつけたりしたら、がっかりしますね?でも悟りカーは、むしろ所有者に傷を気付かせないことだってありうると思います。また、車とは性質上常に一定の危険を孕んだ機械です。大きな事故に遭えば一瞬で全機能を失います。仮に、一般車と悟りカーが衝突したとして、その事故による犠牲者がいなかったとしましょう。では、生き残ったドライバーのどちらがより喪失感を与えられたか。考えるまでもないでしょう。
つまりその悟りカーを人に当てはめてみて、そういう人になりたくてなったのが僕というわけですか?なんか書いてて落ち込みそうになったので、慌ててクエスチョン回避を試みてみました。危ない危ない。
もうなんか話が収集つかなくなってきたというか、始めから何を書いているのか無自覚にキーボードを叩いているのでわけがわからなくなってきました。眠いし。
それでもまだ叩き続けるしかないのです。という感じで、自分ルールに縛られて生活が危うくなるということを繰り返すのは結構まずいので、普通の人にはお勧めしません。自分ルールって楽しいですけどね。道路の白線だけ踏んで歩いたり。一日一言も喋らないマシンになり切ってみたり。いや、僕はそんなことはしないですよ、念のため。本当に、もう十年近くやってないと断言できます。
そんなわけで、ようやくそろそろ駄文も終わる。結局今回の日記で何が言いたかったのかといえば、くだらないルールでこんな苦行を押し付けた過去の自分は今すぐ猛省して寝ろということだ。