2010年2月18日木曜日

粛々合宿へ参りますゆえ

 朝から雪。電車は間違いなく予定が狂っているだろう。まあ、これからのことを思えば厳かでよろしいのではないかと思う。
 これから2週間程度、車の免許取得のために合宿に参加する。おそらく参加者の平均年齢は20いっていれば良い方。きっついなぁ。
 ケータイから更新が可能であればテキトーに合宿でのことを書いていきます。面倒くさかったりした場合はツイッターのみ。たぶん殆ど後者になるだろうと思われます。HT-03Aの性能では長文とかだるくて仕方がないし。
 では、行って参ります。

2010年2月16日火曜日

なんかいろいろ

 今日はバイト先で送別会という名の飲み会が開かれた。目茶苦茶行きたくなかったけど、トータルで見たら行ってよかったと思う。これも日々のたゆまぬネガティブ思考のおかげだ。しかし最終的に良い感情を作るためのネガティブ思考ならば、それは手法がネガティブなだけで結局ポジティブな思考といえるのではなかろうか。まあ、手法として失敗する確率が比較的低いから、あえてそれを選んでいる時点でネガティブだともいえるだろう。実にどうでも良いことである。
 そんなわけで久しぶりにアルコールを摂取した。やっぱりあまり美味しくなかったが、我慢出来ない程ではなかった。きっとこれからも美味しいと感じることはないだろうけれど、マズイとまでは感じなくなるのではないかと予想される。鈍感になって、これからもっと、いろんなものを許せるようになったらきっと楽だろう。
 そう思うものの、周りの中年を見るといろんなものに拘っていろんなものに敵意を向けている人も多い。どうしてだろう。もしかしたら、根本になんらかの無理な抑圧があるのではないか。つまりなにかを無理に肯定しなければならないという思い込みのせいで、それを守るため、いろんなものが許せないということに陥っているのではないか。たぶんそれを外的な論理で正すことは出来ない。指摘しても何の意味もない。敵視の反対側には、それによって保たれる自軍があるわけだし、敵が増えるほどにそれは強固になる一方。
 周囲を敵視すること自体は別に悪いことでも何でもない。ただ少し、不経済になることが多いというだけで。未来においては緩和していく構造だろう。では、そのときなにが自己をひとまとめにするんだろう。
 すごく散らかった文章。酔っぱらいにはこれで精一杯。明日は部屋を掃除しなくちゃ。ああ、面倒くさい。

2010年2月14日日曜日

さよならムジーク

 外出用ヘッドフォンが壊れた。
 今朝、自転車で走行中に、歩道に飛び出した猫を避けるため転倒した際、右側のスピーカをアスファルトに強く叩きつけられたため、駄目になってしまったのだ。なんとか修理を試みるも、どうすることも出来ず。
 MDR-NC60、享年2歳。ノイズキャンセリング機能は期待していたものと違っていたので十分に性能を活かしてやれなかったが、それでも何百時間と付き合ってくれた。特に今のような時期は擬似的なイヤーマフとしても大変ありがたかった。今までお疲れ様、合唱、もとい合掌。

 それはさておき、最近の自分は特に不自由になったと感じる。物事を独断と偏見で断定する発言が少なくなった。それは無駄な衝突を避けるためだったり、不確かなことを言う事への畏れや、わかる人にとっては当たり前のことを得意げに主張することへの恥らいでもあるだろう。しかしそれは結局のところ他者に対しての見栄であり、そこから発せられるものは面白くもない在り来たりの言葉、主張だけである。
 今年で生まれて25年になる。25年も生きて何の能力も職も知識もないのが自分だ。金も才能も人格的な善さもなんにもない。これは事実で動かしようがなく、目の前の人をどう誤魔化しても、またその人が否定してくれようとも変わらない。むしろ虚しいだけだ。
 他人の用意してくれた人格を演じるのは容易い。また、こういう人と思われればその場をしのぎやすい、という観点から行動を規定することは安全で楽だ。その時同時に相手の人格も勝手に決めつけていることになるが、多くの人はそれに従ってくれる。おそらく同じような理由から。
 しかしそれは思わぬ可能性を大幅に削ることになる。正直、人間関係なんかはだいたいそれで良いと思わないでもないが、それが自らの思考などにも影響が出ると悲惨以外のなにものでもない。知っているべきことを知っていない、できるべき思考が出来ない、解けるべき問題が解けない。それを隠すために避ける、そのなんと不自由なことだろう。
 上で他者に対しての見栄、と書いたが問題はどうやらそれではない。問題視すべき悪は、自分に対しての見栄だ。自分に対して見栄を張って、なにかを知っている人のように振舞うことは非常に滑稽だ。馬鹿だ。愚かで救いようがない。ぞ、自分。

 幼い頃、ロボットになりたかった。何も考えずなにも感じないが、答えを言えるロボット。今はどうやら、僕は人間になりたいらしい。中身は未だ空っぽだ。恥ずかしいね、まったく。

2010年2月7日日曜日

2010だってさ

 目茶苦茶久しぶりにブログを更新してみる。発狂寸前卒論地獄を終えてからというもの、長文を書くという行為に一種の心的外傷を負ってしまったらしく、また就職だとかそういう現実からの逃避のためとにかくぼんやりしまくった。でもまあ、そろそろいいかなと。というかそろそろ、そうも言っていられないというか。いや、客観的に考えれば既にどうしようもないのですが。

 そういえば日本はもうすっかり2010年らしい。どうやら外国の方でもそうだという噂も聞く。たしかに僕自身も、2010年かもしれないぞと認めざるを得ない機会を何度か経験した。半分くらいなら2010年と言っても良いと思っている。
 しかし考えてもみてもらいたい。本当に今ここが2010年と全面的に受け入れてしまって良いのだろうか。それはもしかしたら負けではないかね?それは見知らぬ訪問販売員の言うがままにキミのスリッパの片方が健康サンダルになってしまっても構わない、と言っているのとどれだけ違うというのか。うん、だいぶ違いますね、わかってる、わかってる。
 だが2010年。21世紀があとたったの一年で十周年を迎えてしまうということだ。今、少しでいい、2000年のことを思い出して欲しい。2010年を認めるということは、あの日々から十年が経過したことをも認めることになるのだ。10年なんてあっという間だね、アハハウフフ、などとモニタの前で薄ら笑いを浮かべられる充足者は、もういい。もう僕から貴方に言える事なんて怨恨の罵詈雑言を除けば何も無い。しかしそうでない方が一人でもいらっしゃるのなら、今ここで共に2010年を抗ってみようではないか。

 2010年と言えばもうずいぶん遠い未来のことだった。ほとんどフィクションと言っても良い。当然アンドロイドは実用化しているはずだし、第三次大戦も懐かしむレベルで既にあったはずだ。人類は錠剤を主食とし、ナイフとフォークを持つ人々に対し古い世代の人種、と侮蔑の視線を送っているであろう。朝と昼と夜を個人個人が設定し、可視的な太陽はリモコンさえ使わずに操れていて、季節さえもその日の気分で思いのまま。言葉は全て適切に翻訳され、バベルの塔を登れば火星まで半日もいらない。週末は月の観覧車に乗るはずだったのに、父は仕事で予定がくるって、子どもたちはそれでも今朝の不機嫌を忘れたように近所の万里の長城を走る。
 それが2010年ではなかったか。
 今はどうだろう。どれほど遠くまで来れた?依然としてくだらないものが価値を保有し、あるいはそんな幻想をチケットの半券みたいにいつまでも捨てられず、ゴミみたいにこんがらがった旧態然とした世界じゃないか。
 とどのつまり、何が言いたいのかというと、こんな状態において2010年を名乗るのはちゃんちゃらおかしいと、そういうことだ。2010年を認めるのなら、技術的な面は仕方ないにしても、せめて2010年らしい態度をもって日常を歩むべきである。僕には残念ながら、しがらみだとか固定観念だとかが容易に動かせない程度あるので、2010年的態度をとることは出来ない。だから、仕方なくまだ2009年に留まっていようと、それが可能的な最大限の誠意であろうと、そう思うのである。
 決して、そういえば今年あけましておめでとうって誰にも言ってねえけど、今更って感じだなー、とか思ってこんなことをうだうだ述べたのではない。断じて、ない。
 そんなわけで当ブログでは2009年を続行することをここに宣言します。


 さてここにおいて生じたパラドクス的記事をどうしましょうかね、ま、どうもしないんですけど。