2010年3月31日水曜日

こころの放射性

 首筋の痛みで目が覚めていった。昨日はあのままソファで眠ってしまったんだっけ。記憶は鮮明だけれど、やけに遠い。たぶんそれは、これまでの思い出を全部、昨日に括り付けてしまったからだろう。3年分の重みですっかり深く沈んでしまったのだ。
 「そうか、終わったのか」
 口に出してみた。けれど思っていたよりもずっと安らかだ。実感がない。壊れてしまった実感ではなく、今までそれがあったということがもうよくわからない。あんなに悩んでいたのに。あんなに大事だと思っていたのに。心はそよ風に揺られるだけで、寂しささえない。ひょっとして寝ているうちに神様が別の誰かの心を私に移植したんじゃないだろうか。死骸を綺麗に取り去って。
 そんな馬鹿なことばかり考えてはいられない。私はコーヒーを入れるためにキッチンへ向かった。
 「あ」
 玄関先に散らばった、割れたマグカップに目がいった。壁に染み付いたコーヒーの跡も昨日のままだ。ちゃんと落ちるんだろうか、これ。それから自暴自棄になった昨日の自分が見た映像、放った言葉が思い出された。馬鹿な事をしたとは思うが、同時に微笑ましく感じる。まるで小さい子供のした悪戯を見つけた時のように。
 あんなふうにしてモノを壊したことは今まで一度もなかった。そんな衝動は自分には無縁で、よほどヒステリックな人かフィクションの中でしかありえないものなのだと思っていた。彼に対する私の感情もすっかり形骸化していると認識していたし、あんな最後を迎えるだなんて想像もしていなかった。
 好きだとか嫌いだとかそういう単純なものではなく、きっとむしろそういったたくさんの感情で作り上げられ形作られてきた何かが昨日ついに壊れてしまった。
 あれはすなわち私自身のカタチでもあった。
 そうか。
 昨日壊れたのは、私自身でもあったんだ。
 壊れてしまえるものなんだな。
 壊れるってあんなふうなんだな。
 真新しいから、今なら全て受け入れられるように思う。
 全てを許せたような気がした。

 その後、カップの破片はすぐに捨ててしまったけれど、私は壁をそのままにすることにした。茶色く残ったその染みは、私自身の影だ。爆発で焼き付いた、あの頃のポートレイト。いつまでも消えないで欲しい。

2010年3月30日火曜日

法的な優しさ

 隣席から動きが伝わってきたせいで微睡みから引き戻された。慌てて窓の外を眺めて、まだ降りる必要がないことを確認する。昨晩遅くまで起きていたせいでまぶたが重い。寝付きと目覚めが悪いというのはなんとなく無様だ。まるで古典的なアニメとかの幼馴染キャラのような執着を思わせる。
 隣に目を遣ると老婆が目の前に立った青年に手を伸ばしていた。端末を使ってポイントのやりとりをしているのだろう。一般的に老人は無線の性能を信じていない。最近はそんな老人のためにわざわざ極彩色の光が出る端末があるらしいが、彼らはそもそもそういう新しいものに手を出す意欲を失っているのだから意味が無い。たぶん、発売元も政治的な意味合いでしかたなく作っているだけなのだろう。
 それにしても、いい時代になったものだ。この混み合った電車の中を見渡しても、立っている老人や妊婦は一人もいない。私が若かった頃には想像もできなかった光景だ。優しさ推進法が施行されてもう何年になるだろう。それまで善意に頼っていたすべての行為に優しさポイントが付くようになり、人々は善意の振る舞い方で悩むことから開放された。老人などに席を三回ほど譲れば、だいたいジュース一本くらいと交換できるだけのポイントが得られる。感謝の気持ちがなくなるとか騒ぎ立てて抵抗していた宗教団体もあったけれど、結果的に親切を受ける側の精神的負担も軽減されるこの法はなんだかんだで人々に受け入れられることになった。
 親が子供に弁当を作れば50ポイント、出勤を代わってやれば30ポイント、バレンタインにチョコをあげれば1000ポイント。
 私自身は昔から出来る限りそういう優しさから身を遠ざけたいと思っていた。だから、優しさ推進法には感謝している。なぜならその流通の渦中に身を置かないとしても、ただ損するだけの間抜けと思われるだけで、人格が否定されることはなくなったからだ。
 この時代に無償の優しさが意味のないものだとは思わない。しかし、見えないもの、測れないもの、明文化されない約束はいつも底なしの不安を内包している。だからもう、誰もそんなものに触れようとはしない。今の若者達にはきっと、それが優しさだったことさえ理解出来ないだろう。そんな危うい束縛で構築される人間関係の時代は、もう過ぎ去ったのだ。

 私はケータイを取り出してメールのチェックをした。旧友から、ポイントが無いから恋人にプロポーズ出来ないという愚痴が送られてきていた。彼はポイント貧乏だから、しかたがない。慰めのメールを送ろうかと思ったが、私はそのままケータイをしまった。彼からポイントを受け取るつもりはないからだ。これは旧世代の優しさだろうか。今の時代では、そんなものちっとも伝わりはしないのだけれど。

2010年3月23日火曜日

25年目のキス

 今日、僕は学生証を返却し、18年に及ぶ学生生活に幕を閉じた。実感はない。なにせ学校に通わない生活なんて18年もしていないのだし、幼稚園や保育所も含めればそんな境遇は4歳以前の自分にしかない。その頃の生活がどんなだったのか、今ではすっかり忘れてしまった。本当に、遠くまで来たものだ。

 もちろん、4歳以前の自分と今の自分とでは生物学的同一性を認めることが難しいくらい違っている。それは、近所の婆さんから「めんげなぁ」と寵愛されることがなくなったとか、自在に涙をこぼし自分に有利な状況を仕立て上げるようなことがなくなったとか、そういうことじゃない。背が伸びて、目が悪くなって、夜中まで起きていても平気になったことだってたいしたことじゃない。夜中に一人でトイレに行けるようになったことや、風呂に一人で入れるようになったことは多少大きな違いと言えるけれど、それだって瑣末なことだ。
 この18年間で僕はいろんな人に出会った。いろんな人を好きになって、それよりたくさんの人を嫌いになって、もっともっと多くの人を無関心に過ごせるようになった。そうしてそんな人達とたくさんさよならをした。
 色々なことを学んで、次の日には忘れて、繰り返し繰り返して、そんななかで感情をいっぱい動かしてきた。めまぐるしく動く感情に疲れても、一晩寝れば、次の朝には再び感情はどこへでも動いた。
 僕はそれから、いろんな悪いことをしてきた。たくさんの人を傷つけて、偉くなったつもりになったり、たくさんの人の期待を怠けて裏切ったりした。
 誰かのために何か出来たことはないと思う。いつも独りよがりでしかなかった。
 誰かに何かをあげられたこともないと思う。ずっともらい続けて生きてきた。
 それでも、ほんの僅かだけれど、僕を友人として扱ってくれる人達に出会うことが出来た。
 僕は、彼らのためならばいつだって、自分の命を差し出してもいいと思う。
 だけど自分に何が出来るだろう。
 何が出来るようになっただろう。

 結局僕は何も成長していないように思う。だって今まで何一つとして完成させることが出来なかった。口ばかり、妄想ばかりで現実にはなんにも進歩していない。
 社会に対して交換できる価値を僕は何も持っていない。
 学んだことを無駄にしてきた。人との出会いを無駄にしてきた。気がつけば、ゴミの中で一人ぼっちだ。
 なんにもない。

 自分がそういうダメな人間なのだという諦めはもうずいぶん前からあった。それにも関わらず生き続ける醜さ、卑しさを恥じながらそれでもここまで生きてしまった。
 そう、ずっと自分の生をそんなふうに認識してきた。
 生き続けることは負債を増す悪循環だった。金銭的にもそうだし、人間関係としても借りばかり増えていく。
 死にたいけれど、返さないといけないから、死ぬことが出来ない。
 もっと早くに死ねばよかった。その機会を逃してしまったから、しかたがないから生きる。
 そんな生き方だったと思う。
 そして心のどこかで自分を死なせてくれないそんな仕組みを恨むようになっていた。
 優しくされるのも、何かを与えられるのも、重荷に感じるようになっていった。
 そんな汚らしい心で、いろんなものを呪いながら生きるようになっていた。

 僕は僕が大嫌いだった。
 僕は死ぬべきだと思っていた。
 それなのに死なない僕を心底軽蔑していた。


 けれど今日、尊敬する河本先生から言葉をいただいた。
 「この現在が最善の結果である」
 試しにそうだと仮定して、僕は考え、そうしてようやく理解した。
 こんなダメな自分を、僕は25年間も生きさせることが出来たのだ。
 それって案外凄いことなんじゃないか、と。
 僕は自分は生きるのに不向きだと思いながら生きてきた。
 仮にその通りだとして、そんな自分をこんなに長持ちさせられた自分は頑張ったじゃないか。上出来だろ?なんどもあった死のタイミングを全部回避できたんだ。自分に嫌われてまで。

 僕は生まれて初めて、狡猾で、臆病で、恥さらしな自分を少し認めてあげることができた。
 少しだけ、褒めてあげることができた。
 嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらない。
 25年生きて、やっとだ。
 ありがとう。そしてごめんなさい。こんなに汚してしまって。でも、おかげでこんなに生きられた。

 これからどれくらい生きられるのかわからないけど、なんとかやっていけるような気がする。
 生きるさなかで出会うすべてが無駄じゃないという言説は嫌いだ。
 だけど、なんとか無駄にしないように生きられたらと思う。
 6年前の春に河本先生が仰った逸話をぼんやりと思い出す。
 「天才的な詭弁家が死刑になった。首を切り落とされた彼は、誇りの源である口のある首を、体を懸命に使って探した。そして彼はようやく首を見つけ出す。あまりの感激に彼は自らに接吻をしようと思った。しかし、どうやって?」

 今までであったすべてのものに、深く、深く、感謝を申し上げます。
 ありがとう。