今日、僕は学生証を返却し、18年に及ぶ学生生活に幕を閉じた。実感はない。なにせ学校に通わない生活なんて18年もしていないのだし、幼稚園や保育所も含めればそんな境遇は4歳以前の自分にしかない。その頃の生活がどんなだったのか、今ではすっかり忘れてしまった。本当に、遠くまで来たものだ。
もちろん、4歳以前の自分と今の自分とでは生物学的同一性を認めることが難しいくらい違っている。それは、近所の婆さんから「めんげなぁ」と寵愛されることがなくなったとか、自在に涙をこぼし自分に有利な状況を仕立て上げるようなことがなくなったとか、そういうことじゃない。背が伸びて、目が悪くなって、夜中まで起きていても平気になったことだってたいしたことじゃない。夜中に一人でトイレに行けるようになったことや、風呂に一人で入れるようになったことは多少大きな違いと言えるけれど、それだって瑣末なことだ。
この18年間で僕はいろんな人に出会った。いろんな人を好きになって、それよりたくさんの人を嫌いになって、もっともっと多くの人を無関心に過ごせるようになった。そうしてそんな人達とたくさんさよならをした。
色々なことを学んで、次の日には忘れて、繰り返し繰り返して、そんななかで感情をいっぱい動かしてきた。めまぐるしく動く感情に疲れても、一晩寝れば、次の朝には再び感情はどこへでも動いた。
僕はそれから、いろんな悪いことをしてきた。たくさんの人を傷つけて、偉くなったつもりになったり、たくさんの人の期待を怠けて裏切ったりした。
誰かのために何か出来たことはないと思う。いつも独りよがりでしかなかった。
誰かに何かをあげられたこともないと思う。ずっともらい続けて生きてきた。
それでも、ほんの僅かだけれど、僕を友人として扱ってくれる人達に出会うことが出来た。
僕は、彼らのためならばいつだって、自分の命を差し出してもいいと思う。
だけど自分に何が出来るだろう。
何が出来るようになっただろう。
結局僕は何も成長していないように思う。だって今まで何一つとして完成させることが出来なかった。口ばかり、妄想ばかりで現実にはなんにも進歩していない。
社会に対して交換できる価値を僕は何も持っていない。
学んだことを無駄にしてきた。人との出会いを無駄にしてきた。気がつけば、ゴミの中で一人ぼっちだ。
なんにもない。
自分がそういうダメな人間なのだという諦めはもうずいぶん前からあった。それにも関わらず生き続ける醜さ、卑しさを恥じながらそれでもここまで生きてしまった。
そう、ずっと自分の生をそんなふうに認識してきた。
生き続けることは負債を増す悪循環だった。金銭的にもそうだし、人間関係としても借りばかり増えていく。
死にたいけれど、返さないといけないから、死ぬことが出来ない。
もっと早くに死ねばよかった。その機会を逃してしまったから、しかたがないから生きる。
そんな生き方だったと思う。
そして心のどこかで自分を死なせてくれないそんな仕組みを恨むようになっていた。
優しくされるのも、何かを与えられるのも、重荷に感じるようになっていった。
そんな汚らしい心で、いろんなものを呪いながら生きるようになっていた。
僕は僕が大嫌いだった。
僕は死ぬべきだと思っていた。
それなのに死なない僕を心底軽蔑していた。
けれど今日、尊敬する河本先生から言葉をいただいた。
「この現在が最善の結果である」
試しにそうだと仮定して、僕は考え、そうしてようやく理解した。
こんなダメな自分を、僕は25年間も生きさせることが出来たのだ。
それって案外凄いことなんじゃないか、と。
僕は自分は生きるのに不向きだと思いながら生きてきた。
仮にその通りだとして、そんな自分をこんなに長持ちさせられた自分は頑張ったじゃないか。上出来だろ?なんどもあった死のタイミングを全部回避できたんだ。自分に嫌われてまで。
僕は生まれて初めて、狡猾で、臆病で、恥さらしな自分を少し認めてあげることができた。
少しだけ、褒めてあげることができた。
嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらない。
25年生きて、やっとだ。
ありがとう。そしてごめんなさい。こんなに汚してしまって。でも、おかげでこんなに生きられた。
これからどれくらい生きられるのかわからないけど、なんとかやっていけるような気がする。
生きるさなかで出会うすべてが無駄じゃないという言説は嫌いだ。
だけど、なんとか無駄にしないように生きられたらと思う。
6年前の春に河本先生が仰った逸話をぼんやりと思い出す。
「天才的な詭弁家が死刑になった。首を切り落とされた彼は、誇りの源である口のある首を、体を懸命に使って探した。そして彼はようやく首を見つけ出す。あまりの感激に彼は自らに接吻をしようと思った。しかし、どうやって?」
今までであったすべてのものに、深く、深く、感謝を申し上げます。
ありがとう。