2011年10月2日日曜日

誤謬

 シャッター街の中を急ぎ足で歩く。バスの発車時刻まであと20分。乗り遅れたら次はない。それほど大した距離でもないし、速度も言うほどではないのに、少し息が切れる。学生時代に比べてずいぶん体力が衰えたものだ。ここまで自転車で毎日通っていたなんて信じられない。記憶が一瞬風の様に心をくすぐって、かすかに笑ってしまう。
 バス停を一つ二つと通り過ぎて、記録に挑戦しているつもりはないけれど、歩けるところまで歩く。ついに発車時刻との差が5分を切って、コンビニ前のバス停に立ち止まった。もうひとつ歩けば運賃が60円安くなるけれど、そうやって何度も泣きを見た経験がこれ以上を許さなかった。
 西を見ると太陽の最後の抵抗が雲をかすかに染めていた。いつの間にかずいぶん日が短くなった。ついこの間まで夏だったのに。まあ、そのちょっと前は冬で、その先なんて色が見えないほどぼやけている。ずいぶん遠くへ来たのだな、と感じる。自分はあとどれくらい行けるのだろう。
 車の音に振り返ると、バスの扉が開いた。


 車内はいつも通り運転手と自分だけだった。いつもと同じように最後尾のシートに座る。目の前の背もたれには真新しい相合傘が彫られていた。きっと容易に消すことはできないだろう。よく見ると背もたれはところどころ塗料を塗りつけた形跡がある。これも同じように、上から塗料を被せられることになるだろう。しかし、考えてみるとそれはこの落書きの保護としても捉えられる。すると稚拙でどうしようもない子供らの感情が、ここに地層を形成しているわけだ。報われるといいな、と素直に思う。
 「お客さん」急に運転手がマイクで話しかけてきた。「どこまで乗っていかれますか」
 客が一人だから必要以外の降車場所のアナウンスを省きたいのだろう。いつもはこんなことを聞かれることもなく、勝手に目的地で停車してくれるのだが。どうやらいつもとは担当者が違うらしい。今日だけなのか、今後ずっとなのか。いつもの人は、そういえばもう引退してもおかしくない歳のように思えるが。
 そんなことを考えながら、しかし簡潔に行き先だけを答えた。運転手もそれ以外何も言わなかった。


 バスから降りると、風が少し寒いくらいだった。ポケットに手を入れて、すっかり暗くなった道を歩く。外灯以外、家の明かりさえない。昔はこの暗闇がとても怖かった。木々の擦れる音も、小川のせせらぎも恐ろしい物を潜ませているような気がして。けれど今はこの音がとても落ち着く。この暗闇にとても安らぐ。今日の晩御飯は何だろう。秋刀魚なんかが食べたいところだが。
 コンクリートの小さな橋を渡り、少しだけ坂を登って、T字路を左に曲ってーー、けれど我が家の明かりは見えなかった。出かけているのだろうか。けれど心臓の激しい音がそんな安易な解答を打ち消す。しかしあくまでもゆっくりと歩を進め、家の前で立ち止まった。否、家があるはずの場所の前で。


 その一角には、ただ闇が沈殿しているだけだった。家があった形跡さえない。


 そうだ。ここに家なんてない。どうしてそんな思い込みをしていたのだろう。


 歩いているうちに錯覚していたのだ。帰りさえすれば家にたどり着くのだと。


 でもそんなもの、ただ妄想。帰る家はここにない。そんなものどこにもない。


 では、どこへ行けばいいのか。家のない私は、どこへ帰ればいいのだろうか。


 しばらくした後、私は再び歩き始める。


 帰り道をゆっくりと。


 けれど辿り着かない。


 だから歩く。


 いつまでも。


 どこまでも。

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