2014年6月6日金曜日

気持ちは伝わってしまうが、言いたいことは伝わらない

 タイトルで終わりにして良いくらい、それだけのことだけど一応このテーマで書いてみたい。たまに、気持ちは伝わらない、なんて言葉を目にする。でも、面と向かって話をすると気持ちだけが伝わってしまい、話は伝わらないということの方が圧倒的に多い。気持ちに関する情報は、人間が対面して話をする時、もの凄く多い。表情も目も言葉の調子も、タイミングも仕草も、そのほとんどが気持ちを表してしまう。逆に、これを隠すのは非常に難しい。よく知った相手ならなおさらだ。気持ちなんて、本来的に伝わってしまうものであり、コミュニケーションの殆どの部分は気持ちのやりとりである。言いたいことなんて相手にとってみればウォーリーを探すより遥かにハードなことである。
 では、こうして文章を書けば言いたいことが伝わるかというと、それもまた困難である。なぜなら普通、日常において気持ちのやりとりでのコミュニケーションが強く強化され、それに合わせた言葉の装飾が訓練されているからである。つまり、いつもは気持ちによって補完された言葉の応酬をしているのに、いきなり文章だけで言いたいことを伝えろと言われても難度が高過ぎる。読む側も言葉しかない中から気持ちなんてものを探すので、コミュニケーションはベリーハードである。

 翻って自分の場合、気持ちはなるべく伝えたくない。むしろ隠したい。言いたいことだけ伝えたい。そう願っているが、どうしたって気持ちは伝わるし、言いたいことは歪んで送られる。相手の気持ちを理解しろ、と世の中ではよく言われる。気持ちを理解することが優しさであるとされている。しかし僕にとっては、気持ちを無視してくれるのが優しさだ。どうか僕の気持ちを考えないでくれと思う。

 とまあ、こんなことを書いていて気付いたけれど、ここに書かれていることは、ここで書こうとしていることは、ひょっとして僕の気持ちじゃなかろうか。つまるところ、僕は、受け取って欲しい気持ちだけを受け取れ、と望んでいるにすぎないのではないだろうか。
 じゃあもう、気持ちは汲んでくれなくていいし、この文も読んでほしくないし、こんな文は書かなければよかったな。それがわかっただけでも、これを書いた価値があるな。

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