2014年6月9日月曜日

正しすぎる人たち

 良いか悪いかは状況によって異なる。だからある人間が、良い人か悪い人かも状況によってことなる。状況は時間によって変化する。従って、ある人間が良い人かどうかは時間によって変化する。
 そして日本における一日の大半の時間は、良い人のほうが多い割合で存在すると思う。それだけ豊かだと思うし。でも、実際のところ、どうなんでしょう。
 そもそも人間が良い人であるためには何が必要だろう。法律が順守されていて、もっと小規模なコミュニティのルールも守られていることは必要そうだ。厳密に言うと、前述の2つが守られているとき、そのコミュニティにおいてその人は良い人と見なされる、という感じだろうか。
 そうすると、良い人が多いとは、成立し持続しているコミュニティが多いことを意味するんだろう。また、一人の人が多くのコミュニティに同時に属していることも重要だと思う。なぜなら人にはそれぞれ適正があるので、参加できるコミュニティが多いほど、適正に叶う可能性も増えるからだ。

 さて、こんな事を延々と書き続けるのも何なので、入るべき本題を探そう。いや、今回はタイトルを先に決めたので、入るべき本題は既に決まっていて、あとはどうやって侵入するかというだけの問題なんだけど。
 ネット上でよく見かける炎上マーケティングについて。あれに対し、スルースキルを身に付けることで、くだらないものを駆逐すべきだ、話題にするだけ餌を与えることになるから、と思っていたけれど、たぶんそれってムリだろうなと感じた。
 くだらないもの、わざと話題に上るように意図された誤謬は、意図されたとおり沢山の人の正義感に火をつける。しかし冷静に見てみると、そういうとき一番得をしているのって、一番正しそうに正義を振りかざした人のように思う。得って言っても、みんなの注目を集めるとか、賛同を得るとか、そういうものだけど。
 そうやって得をし続け、そのコミュニティで有名になっている人も多い。それが自覚的であれ無自覚的、あるいは結果的にそうなってしまっただけであっても、周囲からみたときそれがあこがれの対象となってしまっている場合が多い。
 普通、人は憧れたものを真似してみたり、応援しようとしたりする。
 そんなわけで、炎上マーケティング関連というか、ああいうのってむしろ正義グランプリみたいなものになっていて、彼らは炎上マーケティングを行っているんではなく正義グランプリを開催して、そのおこぼれを日々の生活の足しにしているように見える。

 そういった商売の手法が小規模では成立するので、正義グランプリは日々開催され続ける。考えるべきなのは、バカをどうやって出さないかではなく、正義をどうやって鎮めるかということではないだろうか。
 どうしたら、正義は鎮められるのか。一つには、フィルターを掛けること。この先生体情報の管理を端末から行うようになれば、システムの側で「この情報の閲覧はあなたにとって不快な思いをさせる可能性が高いが」というような警告を出すようにするとか。
 しかしこれに関しては、人が任意で選択可能なものにすると、うまくいかないようにも思う。なぜなら人は正義を示すの大好きだし、何かを非難してそれを共有したいし。
 どうしたらいいんだろう。もう少し考えてみようと思う。とりあえず、今日はここで。

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